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たぶん思ったことあんまりまちがってない

ジャズ アルバム紹介やライブの感想など 

ベーコン展と身体性とジャズ

東京国立近代美術館で5月26日まで行われている、フランシス・ベーコン展に行ってきました。

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私はベーコンのファンというわけではなく、「なんとなく知っている」程度なのですが、まったく予備知識ない状態で観るというのも面白いだろうと思って足を運んでみました。各作品には解説が添えられているのですが、それらはできるだけ見ないようにしてまずは一周。その後、解説も見ながらもう一周。

「身体」を一つのキーとしてキュレーションがなされているということで、土方巽ウィリアム・フォーサイスの映像も流されていました。美術には疎い方なので、ベーコンがどのように評価され、論じられてきたのかはよく知らないのですが、なるほど、彼の作品は「身体性」と強く結びついているように感じられます(”そう感じるように展示されている”ということもあるでしょうが)。ベーコンの作品に描かれている、ぐちゃぐちゃに歪み、溶けてしまっているようでありながら、妙な実在感があるというか、生も死も内包してそこにあるように見える肉体のインパクトは凄まじいものがありました。

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強引にジャズの話に繋げますが、「身体性」ということは、私がジャズに魅力を感じている部分の大きなところのような気がしています。たとえば、特に管楽器奏者には、よだれをだらだら垂らし、顔を真っ赤にして猛烈な勢いで叫び、吠え、哭きあげるようなミュージシャンがいて、そういう人たちが私は大好きなわけですが、そうした人たちの「音楽」は「身体性」と強く結びついていると思うのです。もちろん「ジャズ」というのは広い概念ですから、そうした身体性を(自覚的に)切り離そうとするものもたくさんありますが、私の好みをふり返ってみると「身体性」が前面に出たものをより愛好しているようです。

ホテルのラウンジで手垢の付いたスタンダードを甘ったるく演奏しているようなものも一般的には「ジャズ」と呼ぶのでしょう。しかし、そんな「ジャズ」は私には面白くもなんともありません。のなか悟空&人間国宝「OVER DRIVE」の帯に、田中啓文さんが「小粋なジャズ、お洒落なジャズ、軟弱ジャズ。まとめて地獄に落ちろ!」と書いておられますが、そこまでは言わないにせよ(笑)、奏者の全身全霊をぶつけるようにして演奏される音楽の方が好きなのです(こんなふうに書くと誤解を受けそうですが、ここにおいて、音量の大小や出ている音の多い少ないは本質的な問題ではないと思います。「静か」な演奏であっても、奏者の「身体」を強く感じるものはあります)。

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ベーコン展の中で、ベーコンの言葉として、「私は理性によらずに作品を作りたい」というようなことが記されていたと思います。そのようにして表出された「身体性」には、絵画でも、音楽でも、映画でも、「なんか分かんないけどすごい」と直感的に感じさせるものが多くあるのではないでしょうか。そんなことをぐちゃぐちゃと考えつつ、私が高校生のころから敬愛しているデヴィッド・リンチもベーコンに影響を受けたと聞いて妙に納得したりしている今日この頃です。

 

 


Rahsaan Roland Kirk - Volunteered Slavery - YouTube

「ジャズと身体性」と考えた時に、まず連想したのがカークでした。こういう演奏を見聞きして何も感じない人とは理解しあえない気がします。