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たぶん思ったことあんまりまちがってない

ジャズ アルバム紹介やライブの感想など 

「柳樂亭ジャズ放談」に行く

これまではustで視聴していましたが、昨日は現場に行くことができました。

 

 

2014年6月25日(水)柳樂亭ジャズ放談 ワニ3匹がJAZZ 100の扉を開く!! 村井康司『JAZZ 100の扉 チャーリー・パーカーから大友良英まで』出版記念連続講演・第ニ回

柳樂光隆(ジャズ評論家/ジャズリスナー)、村井康司(ジャズ評論家/ギタリスト/『JAZZ 100の扉』著者)、吉田隆一(ジャズ演奏家/アニメとSF好きの中二病黒羊)、新垣隆(現代音楽家・ピアニスト)

 

 

『JAZZ 100の扉』の出版記念ということで、今回は90年代がテーマ。同書で取り上げられているもののうち、キップ・ハンラハン、ハル・ウィルナー、ニルス・ペッター・モルヴェルの3名について、実際に音源を聴きながら出演者がコメントしていくという形式で進められました。

この記事では、私が聞いていて面白いと思ったポイントをいくつか箇条書き(敬称略)で挙げてみようと思います。ustで配信されていたので記録に残しても問題ない…はず…。(万が一、関係者の方がこのブログを見て、何か問題があるということでしたら、コメント欄でお知らせください。記事削除などの対応をさせていただこうと思います)。

 

 

キップ・ハンラハン


Whatever I want - Kip Hanrahan - YouTube

・村井:お父さんがトロツキストらしい。「トロツキストのハンラハン」って語呂が良い。「春風や トロツキストの ハンラハン」みたいな。

・柳樂:(ハンラハンは)好き。サンプリングネタとしても使われる。音も良いし、DJに売れる。

・吉田:スパニッシュのリズムを用いたポリリズムとか、生まれ育った環境が音楽に出ているのが面白い。無国籍感がある。

・村井:映画っぽい作り。ハル・ウィルナーもそうだし、ジョン・ゾーンも。映画的なモンタージュみたいなものだったり、自分が好きなものへのオマージュを行うファン気質

 

 

②ハル・ウィルナー

・ 村井:(ハリー・パーチの自作楽器が使われていることについて)西洋的じゃない響きとか、オクターブをもっと割ってしまおうみたいなものって、現代音楽では多い?

・新垣:「未来派」の運動の中にそういうものはあった。ジョン・ケージもハリー・パーチも、父親が発明家という共通点がある。その影響もあるかもしれない。

・吉田:キップ・ハンラハンとも共通するが、「人選力」がある。独特のシチュエーションの中でドン・バイロンクラリネットソロが活きていること。

 

(ミンガス『プリ・バード』「イクリプス」とハル・ウィルナー版を聴き比べて)

・吉田:元々はボーカル主体のものを肉声的な楽器でカバーしようという意図はよく分かる。 

・新垣:確かに、ハリー・パーチの(自作楽器の)鍵盤は声っぽい

・村井:キップ・ハンラハンを聴いたときに、吉田が「持続音がほとんど使われていない」と指摘したのと対照的なサウンド。

 

 

ニルス・ペッター・モルヴェル


Nils Petter Molvaer - Khmer - YouTube

・村井:ECMでエレクトロニクスをこれだけ盛大に用いたのは初めて。

・柳樂:そんなに好きじゃない。クラブミュージックの視点からは、明らかにズレているECMののっぺりしたサウンドは、奥行きがなく、クラブでは全然映えない。

・吉田:ECMのリヴァーブのかけ方。非現実感みたいなものが出る。

・新垣:(この辺りのジャズは聴いていなかったが)80年代半ば、吉松隆がアイヒャーについて書いていたものは楽しく読んでいた。ウィスキーをちびり、環境ビデオを観ながら聴くみたいな。

 

(上記動画と別の音源を聴いて)

・吉田:自ら「フューチャージャズ」と名乗っていた勇気はすごい。あっという間の古び方。

・柳樂:当時は、このビートはどんピシャだった。わざとウッドベースを出す感じとかも。ビートは1~2年で古臭く感じるようになったりする。

 

(当時村井が聴いていたという、ライヒのリミックスを聴いて)

・新垣:初期のライヒのミニマルのコンセプトには、時間をゆっくり体験するということがあったと思うが、こうしてリミックスを聴くと普通の音楽に感じる。

・村井:ライヒのミニマルには、生で(演奏者にとって)拷問のような演奏を見せるという凄みがあったが、機械でやるとその要素はなくなる。

・柳樂:機材の進歩と共に発展してきた。2000年くらいに機材の進化が一旦止まって、そこから変わった。ポストロック、トータスが当時やっていたこと(Pro Toolsでのエディットetc.)はめちゃくちゃ新しかったが、今や当たり前のことになった。ロバート・グラスパーらは、「機械で何でもできることはもう分かったから、じゃあ人間がやろう」という動き。

 

 

④全体の総括

・吉田:90年代に一世を風靡した人たち、それぞれの現在の生き残り方って面白い。今日は、聴く側の世代感(ハンラハンらと同年代の村井、学生時代に村井らの文章を読みつつ聴いていた吉田、その一世代下の柳樂)のようなものが垣間見えたのも面白かった。

 

 

≪参加者としての感想≫

最後に吉田さんも言っていたように、それぞれの視点の違いが面白かったですね。特に、柳樂さんの指摘は、私の中にあまり無い視点だったので興味深かったし、非常に納得でした。確かに、テクノロジーの進歩に随行するような音楽って、時間が経つと一番古臭く感じるんですよね。そういう意味で、ある種の「同時代感」が前面に出るような音楽は、今はあまり好んで聴きません。

 

もう一点、「世代感覚」みたいなものをどう位置付けたら良いのだろうということが引っ掛かっています。柳樂さん監修の「Jazz the New Chapter」なんかでは、「〇〇以降の感覚(耳)」のようなことがちょくちょく言われていた気がするのですが、それって何なんだろうと。やっぱり思春期あたりにリアルタイムで聴いていたものが、その後の音楽聴取経験に大きく影響するってことなんですかね?

その意味では、グラスパー周りに感じてきた「これって新しいのか?」という違和感は、自分のヒップホップの聴取経験に影響されているのかもしれません。「ヒップホップとジャズの新しい形」として紹介されているのに、出てくるのがコモンとかQティップとかJディラとか、90年代~00年代頭くらいに活躍してた人たちなわけです。2000年代半ばくらいに一番ヒップホップを聴いていた私の当時の「感覚」からすると、彼らは二世代くらい上の人たちでした。ATCQなんて完全に古典として扱われていたし、ヒップホップってドンドン若くて面白い人が出てくるのが魅力のジャンルだと思っていたので、そこに違和感の源があるんじゃないかと。それに、当時はUSヒップホップより、いわゆる「日本語ラップ」の方に可能性を感じていたのもあります(フロウの面白さで色々乗り越えられるんじゃないかと。降神は衝撃的でしたし、当時はまだMSC韻踏合組合にも元気がありました)。

個人的な思い出めいたことも語ってしまいましたが、私がグラスパーのあの感じに、悪く言えば「30代の懐メロなんじゃ?」って思って引っ掛かってしまうことと、大友良英さんや芳垣安洋さんがやっていること(思春期に聴いていたポップスなどを取り込むこと)を自然に楽しめることの差は、それこそ「世代感覚」が影響しているのかなとか思ったわけです。たとえば大友さんが取り上げてきた山下毅雄中村八大は、世代的に大分離れているので逆に抵抗感がないのかなと。50~60年代のジャズレジェンドたちがやっているのも古い映画音楽だったり、ミュージカル曲だったりしますしね。もちろん、グラスパーがやっていることは単なる懐メロではないだろうし、好みの問題だというのが前提にありますが。

 

 


Eric Dolphy- GW - YouTube

私にとっては、ドルフィーは私の「世代感覚」を超越した異次元の存在なのですが、まあそれも聴く人によって違うということでしょう。

 

こうやって世代論で語ると分かりやすい部分も多いんですが、流通する情報の総量が増えたり、メディアのあり方が変容すると共に、世代論で一般化できないことの方が多くなっていくような気もします。うーん、やっぱり上手く整理できませんね。

おそらく、柳樂さんたちが「〇〇以降」みたいなことを語るのは意図的・戦略的な面もあるんじゃないかと思っています。ジャズ評論のフィールドで、単なる懐古趣味に留まることなく、それに対抗して同時代のジャズを語る言説が出てきたら面白いんじゃないかなとか夢想しているのですが…。

 

 

何にせよ、私がリアルタイムでまったく経験していない90年代のジャズを、3世代の出演者のコメント付で聴くというのは、とても良い体験でした。一時は時の人となった新垣さんのコメントも、ユーモアに溢れてて面白かったですね。どこかのタイミングで、ギル・エヴァンスの名前が出たときに、新垣さんの表情がぱっと明るくなったように見えたのが印象的でした。

このトーク企画、まだ続くようですので、今後もタイミングがあえば行きたいと思っています。