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たぶん思ったことあんまりまちがってない

ジャズ アルバム紹介やライブの感想など 

映画『セッション』(原題:Whiplash)を観る

新宿にできた新しい映画館(TOHOシネマズ)で、話題の映画を観てきました。

 

 

 

 

菊地成孔さんが自身のブログで酷評を公開し、それに対して町山智浩さんが反論したり、菊地評の「これはマンガです」というdisり方に一部のマンガクラスタが反応したりと、ちょっとした話題になっている映画です。一応「ジャズファン」である私もいっちょ観てやろうと思い立ち、TOHOシネマズ新宿へ。オープンしたばかりですし、日曜日ということもあってかメチャクチャ混んでましたね。『セッション』も満席でした。

 

とりあえず、公式サイトに載ってたあらすじと予告編を貼っておきます。

 

【完璧】を求めるレッスンは常軌を逸し、加速していく―。

名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。

 



 

 <バディ・リッチに憧れるドラマーの青年は、鬼教官のしごきによって精神的・物理的に追い詰められるが、ある行動を取ることによって確執を乗り越え、音楽を通して心が通じあう……>といったお話ですね。暴力的かつ理不尽な鬼教官のレッスンを執拗に描くことで観衆を胸糞悪い気分にさせ、ラストの「どんでん返し」でカタルシスを生み出そうという、シンプルな物語構造だと思います。レッスンシーンの合間に挟まれるエピソード(主人公の家庭環境、恋人との関係etc.)も、クライマックスに向けてベタにフラグを立てていく感じに見えました。

 

で、映画の大部分を占める「しごき」シーンなんですが、俳優の演技はかなり頑張っているものの、 ちょっと描き方が通俗的すぎるかなと。中途半端な露悪趣味とステロタイプに満ちていて、キューブリックフルメタルジャケットの訓練シーンの焼き直しみたいだなって思っちゃいました。まあ、それでも教官の威圧的な態度は観ていてストレスが溜まるし、リンカーンセンターを頂点とする権威主義的なジャズ観にも反吐が出るので(しかも教官自身の演奏シーンはカクテルピアノ風のショボいもの)、私をムカつかせる効果は十分にありました。

 

そういったムカつきは、最後の「どんでん返し」で一気に昇華する……はずだったんですが、その重要なシーンでの演奏が、菊地さんの言葉を借りれば「ガチで中の下クオリティ」なんですよね。本当に。何の面白みもないアレンジの「キャラバン」と、主人公のがむしゃらなドラムソロ、しょーもないジャズロックで勝手に確執が解消され、「二人の間にあるのは音楽の楽しさだけ」(町山評)状態になっちゃうわけです。いやいや、乗り越え方が雑すぎやしないかと。「色々あったけど音楽の楽しさで一致した二人の物語(ラストで二人とも救われた)」と見ても、「徹頭徹尾、最初から最後まで狂った二人の物語(誰も救われていない)」と見ても、いずれにせよ不満が残りました。

この「ラストの演奏のクオリティ問題」について、町山さんは名作『ロッキー』を引き合いに出して、こう言っています。

 

『ロッキー』観て感動した後、ボクシングに詳しい人から「スタローンはボクシング下手だねえ」などと言われると嫌な気分になりますよね。

 

「一理あるな」とも思うのですが、音楽の場合はボクシングみたいに「勝ち負け」がはっきり付くものではないわけです。だからこそ、物語の構造それ自体はキレイにオチていたとしても、音楽の内容いかんで説得力が変わってきてしまうし、そのことで物語の根幹が揺らいでしまうのではないでしょうか。

もちろん、音楽の良し悪しなんて主観的な問題です。私が死ぬほどクオリティが高いと思っている音楽が雑音にしか聴こえない人は山ほどいるでしょう。私が陳腐だと感じたこの映画の演奏に心底感動する人もいるかもしれません。そうであるならば、確執を乗り越えるために音楽の「内容」とは無関係なギミック、あるいは演出を組み込めば良かったのではないでしょうか。菊地さんの「これはマンガです」発言に引き寄せるならば、これがマンガだったら読み手が想像力で音を補完できると思うんですが、実際に音が鳴ってしまう映画においては、見せ方をもっと工夫するべきだったのではないかと。

 

 

結局のところ、私がこの映画を観終わって感じたのは、「ロッキー的なカタルシス」ではありませんでした。想起したのは、劇場版『20世紀少年のラスト、あるいはインビクタス/負けざる者たちですね。どちらも「文化の力で何となく和解したり、一つになったりしちゃう話」という印象の映画。

 

友人の誘いで観に行ったんですが、この曲で世界を変えてしまうというラストには衝撃を受けました。悪い意味で。

 

菊地・町山ビーフ(プロレス)にまんまと乗せられて観に行っちゃいましたが、ジャズファン目線を抜きにしても、私はさほど良く出来ているとは思わないですね。それでも、色んなことを考えるきっかけにはなったので、まあ観て良かったかな。

 

 ……と、ここまで書いたところで、菊地さんから町山さんへのアンサーがアップされていることに気づきました。それと、音楽評論家の高橋健太郎さんの評も発見。町山さんの評含め、どれも面白いです。