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たぶん思ったことあんまりまちがってない

ジャズ アルバム紹介やライブの感想など 

2015年11月22日(日)Ftarri Festival 2015@六本木Super Deluxe

もう何日か経っちゃいましたが、一応簡単な記録を残しておきます。

 

2015年11月22日(日)Ftarri Festival 2015@六本木Super Deluxe

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即興、実験音楽、特殊音楽etc.のレーベル/ショップを運営するFtarriのイベントに行ってきました。Ftarriは水道橋に実店舗を持っていて(品揃えヤバし。ポイントカードのサービスも超充実)、そこでライブイベント等もやっているのですが、今回は2日間にわたる大きなイベントで、会場は六本木のスパデラでした。2日目だけ参加した私の目当ては、イギリスのサックス奏者ジョン・ブッチャー2年前に横浜エアジンで観たソロのライブが忘れられず、なんとしてでも観たいと思っていました。

 

当日のタイムテーブルは以下の通り(Ftarriのサイトより)。

 

午後3時 第一部(演奏時間:各25分)

・ユエン・チーワイ (エレクトロニクス) + 川口貴大 (ホーン、風、煙、ほか) + 徳永将豪(アルト・サックス)

・島田英明 (電子変調ヴァイオリン) + ヤン・ジュン (エレクトロニクス) + 康勝栄 (エレクトロニクス)

 

午後4時05分 第二部(演奏時間:40分)

・杉本拓作曲『Septet』
演奏:杉本拓 (ギター) + 大蔵雅彦 (クラリネット) + 池田陽子 (ヴィオラ) + 池田若菜 (フルート) + マティヤ・シェランダー (コントラバス) + 入間川正美 (チェロ) + 宇波拓 (サイン波)

 

午後5時 第三部(演奏時間:20分)

・スティーヴン・コーンフォード作『Digital Audio Film』

(3台のプロジェクターを使った映像とサウンド)
プロジェクター操作:スティーヴン・コーンフォード
演奏:スティーヴン・コーンフォード (CD プレイヤー) + パトリック・ファーマー (CD プレイヤー) + 河野円 (CD プレイヤー)
テクニカル・アドヴァイザー:田巻真寛

 

午後5時40分 第四部(演奏時間:各25~50分)

・中村としまる (ノーインプット・ミキシング・ボード) + 秋山徹次 (ギター) + リュウ・ハンキル (ラップトップ)
・The International Nothing:ミヒャエル・ティーケ (クラリネット) + カイ・ファガシンスキー (クラリネット)

 

午後7時35分 第五部(演奏時間:各40分)

鈴木昭男 (アナラポス、ほか) + 大友良英 (ギター、ほか) + Sachiko M (サインウェイヴ)
・ジョン・ブッチャー (テナー・サックス、ソプラノ・サックス) + ロードリ・デイヴィス (エレクトリック・ハープ)

 

ご覧の通り、15時から21時の長丁場。一度に何組も出るイベントってあまり好きではなくて(集中力がもたないし、各組の演奏時間が短くなるのが…)、ブッチャーの出る後半だけでも良いかなとも思ったのですが、『Alto Saxophone2』の印象が鮮烈だった徳永将豪さんの演奏が観たくて、最初から参加することに。午前中に教会の礼拝に出席し(私はプロテスタントのクリスチャンなので)、昼食を済ませて、急いで電車に飛び乗りました。会場に着くと、当日九州から飛行機で駆け付けた(!)というid:yoroszさんが。近くに座って、休憩時間に少しお話もしながら、最後までライブを鑑賞しました。

 

もう数日経っていますし、8組も出たのですべてにコメントはしません。特に印象に残った2組のことだけ記しておきます。

 

 ・杉本拓作曲『Septet』

7人の演奏者が、一定の持続音を約40分間ひたすら繰り返すという作曲作品。聴き始めは、「ああ、よくあるミニマル的なアレか。ちょっと期待外れかな」とか思ってしまったのですが、数十分も続くと聴き手(私)の意識に変化が迫られました。極端に変化の乏しい音にじっと耳を傾けているうちに、「これ演奏者にとっては地獄だろ」と演奏者の身体や意識に対する想像力が喚起させられたり、目の前で起こっていること(演奏)を今まで見聞きしてきたものに当てはめようとする自分の心性に気づかされたり。そうこうしていると、ほぼ"何も起こらない"ままに演奏は終了。
「音(音楽)を聴くことの意味を問う」みたいなコンセプトを前面に出すようなもの(特にサウンドアート/インスタレーションの類)って、陳腐でどうでもよく感じるものも多いのですが、この『Septet』はなかなか面白い体験でした。聴いてて辛くなってくる恐ろしい音楽なので、CD買って家で聴くことはしませんが笑。

 

・ジョン・ブッチャー (テナー・サックス、ソプラノ・サックス) + ロードリ・デイヴィス (エレクトリック・ハープ)

 

映像では二種のハープを使っているロードリですが、今回は机に置いた小さいハープのみ。

 

ジョン・ブッチャー、さすがでした。恐ろしい集中力で、次々とアイディアが湧き出してくるような演奏。前衛・即興系の人がよくやるように、ブッチャーもキーのカチャカチャ音をマイクで拡張するなどの特殊な奏法を使うんですが、それらすべてが「音楽的」に聴こえるんですよね。2年前のエアジンの時のような「頭の中で直接鳴り響く感覚」を得ることはできませんでしたが、素晴らしい演奏でした。これ、早稲田茶箱稲毛CANDYのような狭い箱で、生音で聴けたら最高だったと思います。

 

全体を振り返ってみて思うのは、休憩時間にyoroszさんと話したことでもあるんですが、どうやら私は「身体性」を捨象したり、切り離したり、漂白しようとする音楽には興味を持ちづらいようです。それが即興演奏でも、作曲作品でも。もちろん、エレクトロニクスはNGとかそういう話ではありません(たとえばIncapacitantsのライブなどは身体性の塊を思いっきりぶつけられるように感じます)。しかし、自分が管楽器の演奏を偏愛しているのは、演奏者の身体の構造や奏法、セッティング等々によって、「個」の違いが強烈に出るというのが大きいんですよね。あくまで私の趣味の問題ですが、身体性を(意図的に)漂白するような演奏は、そうした「個」の面白さが見えにくいような気がしていて。個々の演奏者の「その人にしかない音」がはっきりとあって、それが共演者の音と調和したり、ぶつかったり、ハミ出したりしながら何かを生み出すようなところに、私は音楽を聴く喜び(自由)を感じています。

 

その意味で、ジョン・ブッチャーの演奏は、今の私にとってほぼ理想的なものでした。身体と直結したサックスという楽器の可能性を拡張し、なおかつ共演者との関係の中でお互いに新しいものをどんどん引き出していくような演奏。

今回、スケジュールの都合で1度しかライブを観られなかったのが本当に残念です。また近いうちに来日してくれることを心から期待しています。