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相倉久人『至高の日本ジャズ全史』を読む

いまさらですが、『至高の日本ジャズ全史』読了しました。

 

至高の日本ジャズ全史 (集英社新書)

至高の日本ジャズ全史 (集英社新書)

 

何回か前の「菊地成孔の粋な夜電波」に相倉久人さんがゲスト出演したのを聴き、その時のトークが予想以上に面白かったので購入。『至高の日本ジャズ全史』は1970年頃までしか扱っていないのですが、それは相倉さんがその時期にジャズ(評論)から離れたからだけではなく、ジャンルの細分化が進行したポストモダン状況下で大きな「ジャズ史」を語ることは難しいという認識があるという話をされていて、すごく納得・共感したので購入を決意した次第。

 

読んでみた感想としては、タイトルは「相倉久人のジャズ全史」ということなのだなと思いました。ただ歴史を叙述した本というよりは、日本ジャズの”当事者”として相倉久人という人間が目撃したこと、出会ったことが語られています。著者は演奏家ではありませんが、司会業やオーガナイザーとしての働きと共に、いわば「言葉によるジャズ実践」を行ってきた人と言えるでしょう。そうした視点から綴られる富樫雅彦、渡辺貞夫、山下洋輔高柳昌行らのエピソードなどは、ジャズファンなら「おお!」と思う垂涎物の話が満載で、非常に楽しく読みました。

ただ、モンクやドルフィージョン・ケージなどについて、「当時の権威主義的評論家はバカなので理解できていなかったが、自分は分かっていた」という論調で話されていることには引っ掛かりました。ある種のセルフボースティング(自慢話)的なところが多々あって、菊地さんが本書で著者を「MCアイクラ」と呼んでいることは何気に的確かも。

 

ポストモダン状況」論に関しては、私がかねてから持っていた現行のジャズ評論・批評に対する不満を上手く説明されたような気がしています。メジャーから出ているものを語る人や、古いものを紹介・批評する人はそれなりにいるのですが、特にフリー系のミュージシャンや、今アケタやピットインでバリバリ活躍している人たちが取り上げられることは少ないので、自分が好きなものの情報収集にはジャズ誌よりも市井のジャズファンのtwitterやブログの方が役立つという現状があると思います。それは必ずしも批評や評論の怠慢ということではなくて、あまりに細分化された「ジャズの全体像」を語ることが不可能になっているからだと考えると、ラテン系のジャズに強い評論家とか、ポーランドのジャズを専門に扱うライターさんがいるように、批評家・評論家は一定のジャンルに偏らざるを得ないのだとも思えます。そのことに無自覚に今の「ジャズの全体像」を語るような批評・評論は、自分の好みにあうもの以外はつまらなく感じてしまう。一部の評論家の書くものを読んで共感できるのは、極端な話、その人の好みが私の好みに近いというだけなのかもしれません。

「ジャズ批評」が批評性を失い、SJ誌がレコード会社の提灯持ちと化した末に休刊に追い込まれたのは、そうした時代状況に対応できなかったからでしょう。いま、ジャズについて「大きな物語」を語ることができるか、語ることに意味があるかということは、批評・評論、あるいはジャズジャーナリズムが向き合っていくべき課題なのではないでしょうか。まあ、一ファンとしては面白い音楽が聴けて、才能のあるミュージシャンたちが十分に食べていけるのであれば何でもいいんですけどね(笑)

 

日本フリージャズ史

日本フリージャズ史

これも”当事者”による歴史証言の良書です。この本を読んでいても、特に70年代以降は「全体像」を語ることが困難になっていることがうかがえます。