『標的の村』を観る
すでにテレビ版は観ていたのですが、やはり劇場で観ておくべきだと思い、東中野ポレポレに行ってきました。
この映画で描かれているのは大きく2つ。「高江」という美しい場所とそこに住む人々が”標的”とされているということと、米軍基地が沖縄県民同士の対立を強いるものであるということでした。
前半では高江の美しい自然と人々の生活が淡々と映され、そこに住む人々が米軍の軍事訓練上の”標的”とされてきたこと、ヘリパット建設に反対する住民たちが日本政府に見せしめとして訴えられ、その意味でも”標的”とされていることが突きつけられます。
後半では、沖縄防衛局員・土木業者と高江の人々、警官隊と普天間基地反対の座り込みをする人々の対立・衝突が描かれます。ここで激しい衝突を見せる当事者すべてが沖縄人であるという事実の恐ろしさに、観ていて涙が止まりませんでした。警官によるデモ隊排除をへらへらと笑いながら見ている米兵。警官隊に「あんたらも沖縄人でしょうが!」と訴えかける住民。警官も含めた沖縄の人々にこのような苦しみを、怒りを、痛みを押し付けているのが日本政府(=国民多数派)であって、県外にいる自分も無関係では無いということ・・・。
この映画の中でもっとも印象的だったのが、予告編にも出てきますが、警官によってデモ隊が排除される中、車の中で女性が「安里屋ユンタ」を歌っているシーン。そこにあったのは、生半可なサウンドデモなんかでは聴くことのできない、本当の”民衆のうた”でした。
時々「音楽に政治を持ち込むな」といった言説を見聞きしますが、そんなものはクソ食らえと思います。演奏者の現実に”政治”が食い込んできてしまっている時、音楽に政治的なものが表出してしまうのは避けられないのではないでしょうか。この映画で描かれている高江の、普天間の座り込みは、左翼エリートの暇つぶし的な市民運動なんかではなく、生活のための戦いです。それも望んで戦いに加わっているわけではなく、どうしてもやらなければならない、座り込みしかできないところまで追い詰められてしまっているということ。
そのような中で自然発生的に出てきた”うた”には、どうしようもないほど胸をうたれました。ドキュメンタリーとしては荒削りな部分もありますが、多くの人に見て欲しいと思いますし、特に公権力に携わる人は必ず観ておくべき作品ではないかと思います。激しくおススメです。
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県外に住む私にとって沖縄基地問題は、実際に苦しみを経験することができるものではなく、むしろ自分が加害者の一端を担いかねない性質のものだと思います。そんな私にできるのは、外野から無責任に「頑張れ」と励ますことではなく、"Not In Our Name"と声を挙げ続け、投票行動という形で具体的に意思を表明することくらいしかないのかもしれません。
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私にとって、ジャズという音楽が黒人の排斥とそれに対する抵抗の歴史と分かちがたく結びついているものであり、自由を希求するものであることを象徴する一枚です。